2017年05月

2017年05月29日

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なんとなく机がザラザラ。

黄砂かと思い調べると


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桜島の灰でした。

降灰があるのは久しぶり。

車は真っ白です。

(18:56)
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先日の南日本新聞にガラガラ船について

書かれていました。

輝津館の方で、ガラガラ船の展示をおこなっているそうです。


期間は、8月15日までとのこと。

お盆休みまでやっていますので、帰省の際は是非お立ち寄りを。





(18:47)

清原のある場所まで

娘とホタル見に行きました。

時間が遅いのか、時期が遅いのか

飛んでいたのは2~3匹程度でした。

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三脚ももっていかず、撮影したので

真っ暗。。。

早い時間に三脚持って撮影します。




(18:36)

2017年05月26日

岬まつり実行委員会で

青年部を作るということで、第1回の打ち合わせに呼ばれ

青年でもないいですが。。。行ってきました。
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いろいろな意見が出て、活発な議論ができてと思います。

今年活動するのは難しいかもしれませんが、

何かの足がかりになるのではないかと思います。


大したことはできませんが、猫の手ぐらいにはなるかも。




(18:32)

2017年05月25日

 信輔公は、近衛家十八代関白白藤原前久の子で、信尹とも言い信基とも称し、また三貌院と号し、父にまさる能書家で、平安の三筆といわれる近衛流書流の元祖である。和歌はもちろん、絵画にも巧みで好んで天満天神の絵を描いた。内大臣となり左大臣に任ぜられ従一位に叙せられた。信輔公が豊太公の怒りをうけて坊津に配所の月をながめたのは、文禄三年(一五九四)であった。
 その原因は、秀吉が身分の低い家に生まれたが、やがて天下の実権をにぎり、その位人臣を極めた。秀吉は征夷大将軍をのぞんだがことわられ、次の藤原姓と関白を奏請したが、これも藤原一族に反対された。ことに左大臣の近衛信輔が強固に反対した。その故をもって近衛家の荘園地である坊津に流された。坊津にいたのは二年足らずであったが、庶民にも親しまれ、京文化を普及し書や絵を教え、ハンヤ節をつくるなどした。配流の屋敷あとを今を近衛屋敷と呼び、お手植えの藤を近衛藤と呼んでいる。


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(08:20)