2014年11月26日

一乗院跡
寺伝によれば今距る1380余年前、敏達天皇十二年百済の僧日羅が仏教弘布のため創建した。その末寺は薩摩大隅の国内に四十七ヵ寺、坊津でも十八ヶ寺あったという。日羅上人はみずから仏像三体を刻み、上中下の三坊舎に設けてそこに安置した。
坊津の名称はこれに由来する。敏達、推古両帝の御願所となり、長承二年には鳥羽上皇から紀州根来寺の別院、西海の本寺として如意珠山一乗院の勅号を賜り勅願寺となった。平安朝末期にはすでにこの寺は荒廃していたが、のち正平十二年成円和尚が再建し、中興の祖となり、明治の廃寺の時まで、その間盛衰はあったが、四十二世の住待がつづいた。調停の御帰依はもとより藩主島津氏も、忠久入国以来深く尊崇せられ、多くの寺領を寄進して保護につとめた。
(昭和二十九年五月二十四日史跡として県指定)
 

 
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(19:23)

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