2016年09月29日

敏達天皇の時代に、日朝両国の間に活躍した百済の傑僧である。

五六三年(敏達天皇十二年)に、仏教を広めようとして坊津に来て、

坊舎仏閣を建てた。

みずから阿彌陀像三体を刻み、三坊に安置し、龍巌寺と 号した。

これが、一乗院のはじまりである。

日羅はここで布教を行い、一乗院創建の人となった。


 日羅


(18:10)

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この記事へのコメント

1. Posted by rett   2016年10月03日 20:30
この像で思い出したのですが、
輝津館前の駐車場に頭部のない仏像がありますが、由来わかりますか?
輝津館で聞けばよかったんですが。
2. Posted by kenta   2016年10月04日 15:20
rettさんこんにちは

> この像で思い出したのですが、
> 輝津館前の駐車場に頭部のない仏像がありますが、由来わかりますか?
> 輝津館で聞けばよかったんですが。

廃仏毀釈のころろのものですか?
3. Posted by rett   2016年10月04日 19:36
確かに頭部がないので廃仏毀釈の結果でしょうね。
仁王像、どこかのお寺にあったものでしょうが、
なかなかいい出来なんです。
4. Posted by kenta   2016年10月05日 13:03
rettさんこんにちは

> 確かに頭部がないので廃仏毀釈の結果でしょうね。
> 仁王像、どこかのお寺にあったものでしょうが、
> なかなかいい出来なんです。
>

今度見てみます。

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