【伝説】
2017年05月19日
坊津の一乗院をとりまく山々に弁財天をまつった祠がある。これが七ヶ所あるところから七所弁財天という。
これはいつのころか、一乗院に相当な高徳の上人がいて、村人からたいへん尊敬されていた。
ところがいつの間にか、この上人に七人の美女がかしずいていて、これを知った村人達は、「あんな偉い坊さんでも女色にはかなわないのか」と、だんだんと、その噂が大きくなっていった。
一方上人の方では、このような噂が耳に入ると大変に迷惑がられて、さっそく七人の美女を呼んで、こんこんと仏道を説き、すぐこの場から去るように言いつけた。
七人の美女は、かねてから尊敬している上人のことばをきいて、迷惑をかけては・・・・・・・とたちまち七匹の蛇に変身して一乗院を見守る山上にそれぞれ登っていった。
これが七所弁財天だと言われている。
これはいつのころか、一乗院に相当な高徳の上人がいて、村人からたいへん尊敬されていた。
ところがいつの間にか、この上人に七人の美女がかしずいていて、これを知った村人達は、「あんな偉い坊さんでも女色にはかなわないのか」と、だんだんと、その噂が大きくなっていった。
一方上人の方では、このような噂が耳に入ると大変に迷惑がられて、さっそく七人の美女を呼んで、こんこんと仏道を説き、すぐこの場から去るように言いつけた。
七人の美女は、かねてから尊敬している上人のことばをきいて、迷惑をかけては・・・・・・・とたちまち七匹の蛇に変身して一乗院を見守る山上にそれぞれ登っていった。
これが七所弁財天だと言われている。
坊津町郷土史下巻より
(11:01)
2017年02月20日
赤先の突端の海中に大きな瀬がある。
これは昔、唐の船が坊津に入港しようとして、
暴風にあい、ここで沈み、
そのときの碇に「かき」などがはえて
段々と大きくなり今のような大瀬になったという。
坊津町郷土誌 下巻より
このあたりかな。
これは昔、唐の船が坊津に入港しようとして、
暴風にあい、ここで沈み、
そのときの碇に「かき」などがはえて
段々と大きくなり今のような大瀬になったという。
坊津町郷土誌 下巻より
このあたりかな。
(19:07)