【ゆかりの人】
2017年05月27日
江戸時代の漢方医で文筆家、伊勢に生まれ、諸国を巡り後京に上り、朝廷に召されて医官となる。
著書西遊記に「坊津は辺鄙なる故に世に普く知られざる処にて勝景双ぶ処稀なり。丹州天ノ橋立、芸州厳島などと競べ見るに、天ノ橋立よりも海面の模様眺望広大にして島の風景いはん方なく、如何なる画師たりとも写し得がたき処にて、拙き筆には十は十にして其一もにたる様に写し難し」と激賞している。
多分この人。。。
著書西遊記に「坊津は辺鄙なる故に世に普く知られざる処にて勝景双ぶ処稀なり。丹州天ノ橋立、芸州厳島などと競べ見るに、天ノ橋立よりも海面の模様眺望広大にして島の風景いはん方なく、如何なる画師たりとも写し得がたき処にて、拙き筆には十は十にして其一もにたる様に写し難し」と激賞している。
多分この人。。。
(17:02)
2016年10月01日
真言宗の開祖で、平安時代、坊津を訪れ、泊まりの浜で一老婆から恵みものをうけた。
空海はそのお礼にと砂浜に錫の杖をついたところ湧き出た、
というのが今に残る松堂井(まつどうくんかわ)である。
また、泊の攝光寺の付近にも、清水井というのがある。
↑この井川かな。
空海はそのお礼にと砂浜に錫の杖をついたところ湧き出た、
というのが今に残る松堂井(まつどうくんかわ)である。
また、泊の攝光寺の付近にも、清水井というのがある。
↑この井川かな。
(18:21)
2016年09月29日
敏達天皇の時代に、日朝両国の間に活躍した百済の傑僧である。
五六三年(敏達天皇十二年)に、仏教を広めようとして坊津に来て、
坊舎仏閣を建てた。
みずから阿彌陀像三体を刻み、三坊に安置し、龍巌寺と 号した。
これが、一乗院のはじまりである。
日羅はここで布教を行い、一乗院創建の人となった。
五六三年(敏達天皇十二年)に、仏教を広めようとして坊津に来て、
坊舎仏閣を建てた。
みずから阿彌陀像三体を刻み、三坊に安置し、龍巌寺と 号した。
これが、一乗院のはじまりである。
日羅はここで布教を行い、一乗院創建の人となった。
(18:10)
2012年11月13日
「南薩示現流」示現流の始祖である東郷重位は坊津の地頭として四代勤めた
津本 陽(つもと よう、1929年(昭和4年)3月23日 - )は、日本の小説家。本名、寅吉(とらよし)。
(19:34)
2012年11月03日
昭和42年、雑誌ミセスの取材で坊津を訪れ、同士の日本新絵巻で”美しさ漂う坊津”と、坊津を紹介。
安岡 章太郎(やすおか しょうたろう、1920年(大正9年)5月30日)は、日本の小説家。
(22:02)